私の父は、否定的なところがありました。
それでよく私は否定されてきました。
兄弟と比べられて、「良いところは皆弟に持って行かれた」、「生まれ変わらないとダメだ」と言われたこともあります。
そのように言われきて、言われなかった場合と比べると確かに人生は消極的で制限の多いものになったと思います。
ですが、今考えてみると、親や他人の否定的発言は、その人個人の意見を主張していただけのことにすぎません。
確かに親の世代の考えから言って、一理あるのかもしれませんが、それは時代が変われば、また変わります。
否定は、横に置いておいて、自分で思ったように生きてみる、そうすれば
「やはり自分で良いと思ったことは、正しかったな」と思えることが多いです。
「なるほど親の言う通りだな」と感じることもあったかもしれません。
それは、自分で思ったようにやってみないとわからないことです。
両親や他人の意見に振り回される必要はなかったな、とつくづく思います。
古典に書かれてありました。
火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。ただ弥陀より賜った念仏のみが、まことである。
(原文)煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。
引用:高森 顕徹著『歎異抄をひらく』1万年堂出版(平成20年第1刷発行、令和3年167刷発行)P.110